読書メモ『本当に頭がいい人のメンタル習慣100 齋藤孝〈はじめに〉』5月20日
このブログは、本を読みながら思ったことをそのままメモしていく個人的な備忘録です。
はじめに
①「頭の良いひとは、(これくらい)シンプルにものごとを考えている。」
「嫌な気持ちを生むものからは距離を取る。シンプルな方法ですが、メンタルを守るためには大変有効な手段です。頭の良いひとというのは、このくらいシンプルにものを考え生きているのではないでしょうか。
本書は、『頭がいい人』がぶれないメンタルを保つために、日ごろ何をどのように捉え実践しているのか。それを考えていくための一冊です。」
この導入の前に、特段根拠のあるわけでもない、一般的に共感の得やすい一般論(繊細な人でメンタルの不調が増えたのは、SNSで承認欲求を手軽に満たせることに原因がある、論)をさらりと述べていたが「ひとによるくない?」と思った。
ただ、そのあとに「頭の良いひとというのは、このくらいシンプルにものを考え生きているのではないでしょうか。」というくだりを読み、なるほど、波風を立てないよう、限りなくシンプルで(一般論過ぎて)取っ掛かりのない、あるある売れ線の一般書の導入文を読んだあとだったから妙に信憑性があり、「たしかに」と思った。(悪口のつもりはない。)
共感を得やすい文章を書くひとは、得てしてこういう、削ぎ落としすぎてなんの波風も立たない、もしくは、余計な効果を生まないよう削ぎ落とした文章を書くのがうまい。
たしかに、現代的に頭がよいと言われるひとは、こういう「シンプルであること(余計なことをしない)ができるひと」だな、と思う。(悪口のつもりはない。)
頭の良いひとなら、こんな脇道に逸れるような、シンプルさのかけらもない小面倒な思考をすることもないだろう。頭のよさとは、シンプルさと直結しているのだ。
②「自分が感じる幸福や楽しさ、好きなものを享受して生きよう。」
「シンプルに生きること」=「自分が感じる幸福に忠実に生きること」。
「楽しいことを率先して行う、好きなものを食べて自分を満たす、疲れたら寝る。
それらと同じくらいかんたんなことを選択して生きている。
好きなことを3つもできた日が嫌な日なはずがありません。複雑にものを考えずに、好きなものを享受できれば、メンタルが壊れることはないのです。」
シンプルに生きる。つまり、幸福に忠実に生きる。楽しいことを率先して行う。自分を満たす。疲れたら寝る。どれも自分の場合は、余計なことばかり考えてしまう。この頃は、幸福や楽しいことを感じる感度が衰えて、幸福や楽しさに基づいて生きていないと思った。幸福や楽しさに忠実に生きるなんて、考えたこともなかった。
幸福や楽しさへの感度は常に高くあったほうが、幸福で楽しいもの(暮らし、仕事)を作ることができるだろうし、現実的に作業スピード、成長速度も早まるだろう。(ステータスで言う "回復力" "すばやさ" 。)
簡単に(実行可能なようにひとことで)まとめると、「好きなものに囲まれる、それを(臆せず)選択し続ける暮らし」だろうか。それは、こうして気軽に一文に書いて想像してみるだけでも、思ったより勇気の必要な行動に思える。著者の選択の軽やかさは素敵だと感じる。
シンプルに幸福に忠実に、好きなものを享受して生きてみよう。勇気を持って。
③(暮らしを向上させたい欲望・美意識・勇気がない。)
"習慣"
習慣の身につけかたがいまだによくわかっていない。
習慣の軸、幹になる〈目的〉が曖昧だから習慣が少しずつブレるのだろう、とさいきんは考えていたが、それ以前に、「暮らしを向上させたい」という健康な欲望(美意識)がないから、というのが大きい気がする。
ぼくには「習慣を身につけたい」=「暮らしの質を向上させたい」という前向きな(幸福や楽しさを選択する)欲望や、美意識や、勇気がないのだ。気功の内観的に言えば、幸福から(無意識に)乖離したいのである。習慣を身につけねば、と口では言いながら、結局はそちら(幸福になど、さほどなりたくない!)が見えない本音なのだ。
筋トレなんかが習慣づかないのも、結局はそこである。いい体やモテなど、さほど欲しくないのである。それはひとえに、幸福になることに対する欲望と、勇気のなさによる。
(ただ、「朝イチに神棚や太陽を拝む」くらいのことは面倒くさがらずやれよ、と自分で思った。いただきます、ごちそうさま、くらい当然で然るべき習慣。)
暮らしの質を向上させたい、という健全な欲望(美意識)を持とう。そうでないとなにもはじまらない。そもそも、高次元な欲望は罪にはならないのだ。
④「環境と習慣が行動を変え、行動が性格を変えるよね。」
「30代、40代と歳を重ねるにしたがって軽やかな性格になったという自覚があるのですが、それは習慣、行動を変えることで性格も変わり、明るい性格を選択できるようになったからだと思います。
大学の教え子たちを見ていても、人見知りだった学生が社会人になったら相応の社会性をともなっていたり、引っ込み思案だった学生が戸惑うことなく人前で自分の意見を発言できるようになっていたりと、環境が変わり習慣が変わったことで性格までも変化しているようです。
習慣を変えるといっても、難しいことではありません。教え子たちも、社会人になったからあいさつと連絡をしっかりしよう、その程度の習慣の変化だったと思います。
でも、結果として性格が変わった。習慣は行動や暮らしを変えて、さらに人の心にまで作用するのです。」
環境や習慣から変わって、逆に、性格のほうが変わっていく。
なりたい自分に少しずつなろう、ではなく、なりたい自分にいま「なる(なってみる)」というような逆説的なアプローチだが、自己啓発好きな昔の知人のブログや自己啓発本でよく目にする論だった。わりと定番の方法らしい。
ただし、自分の場合は「こうなりたい」がとくにないので、そこから(心から望める目的の吟味が先決)である。
理想の自分の行動を先に想像し、先に実際の行動をしてみて、いずれ自分がそれに合うように変わっていく。コンフォートゾーンを超えた人間の適応力。それは例のように、先に環境に飛び込む、というような方法でもよい。未来の自分は大変だが。(筆者の例えは、その変化のストレスを感じつつも耐えながらコンフォートゾーンを抜け続けるだとか、もしくは引き寄せの法則的な実践方法に通じるアプローチでもある。苫米地先生の本をちゃんと読んでみようか。)
とはいえ、ホロゾフィー的に言えば、出生コードのデコードを抜きにしてそういった方法を取ることは、どこか気休めにしかならないようにも思う。(自己啓発好きが、単なる自己啓発好きのままで終わるゆえんである。)
出生コードを読んで明確な目的を持った上での自己改革(自己浄化、自己実現)ならば、悪くはないか。まずはなににしろ、出生コードを読んで、目的を深く理解するべきである。自己啓発に失敗する原因の多くは、自己納得がいっていないことだという経験上の体感がある。
性格を変えたいなら、習慣と行動から先に変える、という方法もある。
まとめ
シンプルに生きよう。
そのシンプルさの根本は、個人的な願いだけれど、不屈の利他心でありたいと思う。個人的な幸福だけを求める生き方は自分には向いていない気がしている。
しかし、だからこそこの著者くらい、自分を満たすことが大切なのだと思う。この本は、そのへんの生き方の癖(欲望からの乖離)を見つめ直すきっかけになればいいな、と期待している。